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森藩の記録には、「紅葉の御茶屋」と記されており、天保二年(1821)に完成。

 

真言宗の高僧「不退堂(ふたいどう)」によって栖鳳楼と名付けられた。

神社祭典の為の参篭(さんろう)(御通夜)や、月見、花見の宴などにも使用されていた。

二階からの眺望は、素晴らしく、お城の天守閣の趣をなしている。

一階は御茶室風になっており、その庭園は九重連山や城下町の遠景を取り入れたもので、豪華な飛び石が配置されている。

 

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