知福童子(人形像)
高さ約80cm、台座に座ったこどもが、頭にのせた知恵袋を両手で支えている。素朴で親しみ深い石像である。
京都嵐山の知福山法輪寺にある石像をモデルに、1942年(昭和十七)に久留島武彦翁が、京都の石工に依頼して刻んでもらったという。永い間到津遊園で多くの人々に親しまれていたが、西鉄の事情によって北九州へ、経営移転をすることに決定。平成十二年五月末日をもって閉園することになった。
そのため像の移転先として「童話の里」玖珠町が選ばれ、三月譲渡されて生みの親の眠る地に再建された。今では一足先に玖珠に移っていた桃太郎像と、童話碑前に並び建って、公園で遊ぶ玖珠の子ども達を見守っている。
(つのむれ会発行 つのむれ遊観より抜粋)
高さ約80cm、台座に座ったこどもが、頭にのせた知恵袋を両手で支えている。素朴で親しみ深い石像である。
京都嵐山の知福山法輪寺にある石像をモデルに、1942年(昭和十七)に久留島武彦翁が、京都の石工に依頼して刻んでもらったという。永い間到津遊園で多くの人々に親しまれていたが、西鉄の事情によって北九州へ、経営移転をすることに決定。平成十二年五月末日をもって閉園することになった。
そのため像の移転先として「童話の里」玖珠町が選ばれ、三月譲渡されて生みの親の眠る地に再建された。今では一足先に玖珠に移っていた桃太郎像と、童話碑前に並び建って、公園で遊ぶ玖珠の子ども達を見守っている。
(つのむれ会発行 つのむれ遊観より抜粋)