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現在の森町を中心として栄えていた森藩は、豊後八つの藩のなかで最も小さく、一万四千石ほどでした。

藩主久留島氏はもともと瀬戸内海の村上水軍の頭領で、関が原の戦いで西軍方について破れ、豊後森藩へ移封。その後初代康親から12代通靖までの約270年間、藩政がしかれていました。

8代藩主通嘉公の時、末広神社の改築に着手。周辺には久留島庭園や清水御門、栖鳳楼など文化の薫る建造物が今もその姿をとどめています。小藩ながら雅な華を咲かせた森藩。町の一角には往時の面影が色濃く残っています。

森、力を持った在地土豪が独立的な支配形態を行っていた玖珠地方。

徳川幕府の成立によって誕生した1万4000石の小さな藩は、彼ら旧土豪とその居館跡を吸収する形で町づくりをすすめました。

 

玖珠郡は中世には「国侍持切りの国」とも言われていました。それは在地土豪である清原武士団が各土地を分割して持ち、その土地の名を自分の名字として生活していたからです。
しかし文禄二年(1593)、豊後が太閤蔵入地となったのち、それまで国侍に使われていた百姓も土地を手に入れ自立し、また百姓を使ってきた国侍たちは帰農させられました。
そんな中、慶長六年(1601)、森に入部してきた来島氏は、最初の居を殿町に構えたといいます。そして元和二年(1616)頃、字を久留鳥と改め、家臣を森に集住させ、武士たちの生活の必需物資調達のため、周辺から商人や職人を集めて、城下町形成を始めました。

久留島氏は小大名であったため、城を持つことを許されず、したがって陣屋を置き、陣屋を中心として、町づくりを始めました。まず北と東に侍屋敷があり、南 に町人町が配置されていました。北は上谷と旭谷で上・中級家臣の屋敷がありました。南の町人町は中央に本町通りがあり、その中は上町・中町・下町と分けら れ、上町の北側から西へ田町があり、中町と下町の間から東へ横町がありました。
これらの町は寛永十七年(1640)頃までには出来あがっていたようです。その後、町の東端から上・中・下町に平行して金山町が出来ました。これらは正保 元年(1644)徳川幕府の命令によって作られた「城絵図」に陣屋の姿と、町割りの様子が描かれていることからも分かります。

入部当初三十人程度だった家臣も百二十人くらいに増えていました。その中には、いったんは帰農した帆足や森といった旧土豪の姿もあったようです。
(季刊BAHAN創刊増大号より)

 

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徳川幕府の成立によって、豊後国は小藩に分けられます。玖珠郡も幕府直轄領(天領)と、大名領(藩領)に分けられました。そして慶長六年(1601)四 月、日田・玖珠地方を治めていた毛利高政は佐伯へ移り、同年九月来島氏が、瀬戸内の海から玖珠の山中の大名として、日田・玖珠・速見の内に一万四千石を与 えられます。

当時の森の様子は「慶長八年之比同郡森町二初而居住す当時森町ハ蒼々然るに深林わずかに拾数軒少部落中せし由」という状態であったと加藤氏に伝わる系図に書かれています。いわゆる青々とした草木が茂り、しかも深林もあって、そこに拾数軒の家が散在していたのでしょう。

もともと中世という時代は、民衆や家来の城下集住という形はとらず、それぞれの治める田畑の周辺に居を構えていて、生活品などの物資は中世的な市で売買し ていました。玖珠郡内でも九日市(玖珠町山田)、六日市(玖珠町帆足)、四日市(玖珠町戸畑)、二日市(九重町松木)、五分市(九重町松木)などの地名 が、その跡を示していると考えられます。

入部してきた来島氏が最初の居館を構え、のちに久留島陣屋となったのは、現在の童話碑や三島グランドのあるあたりです。そこは小名(地名の最小単位)で森といい森氏の名字の地で、居館のあったところではないかと考えられます。

そのとき森氏がどうしていたのかは分かりませんが、おそらくその居住地域を明け渡したものでしょう。森氏の家臣も文禄二年の大友氏除国の際に、他国へ出て仕官する者もいたようですが、武士をすて帰農する者もいたようです。
(季刊BAHAN創刊増大号より)

 

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懐かしい過去へタイムスリップ 森町
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ノスタルジーを感じる街 森町
小藩ながら雅な華を咲かせた森藩。街には今なお往時の面影が色濃く残っています。(クリックすると大きくなります)