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豊後森機関庫保存の取り組み -地元有志を中心にした保存運動-

大分県玖珠土木事務所 岩田 政勝

【豊後森機関庫とは】

みなさん、玖珠郡玖珠町のJR豊後森駅構内に、独特な形をした古い鉄筋コンクリートの建物があるのをご存じでしょうか。この建物は昭和9年に建設され、蒸気機関車からディーゼル機関車へ切り替わる昭和46年まで使われていた豊後森機関庫です。

 

豊後森機関庫は久留米と大分を結ぶ久大本線の中間にあり、蒸気機関車を動かすのに不可欠な石炭と水を補給し、さらに機関車の点検や修理を行う中継基地として、最盛期の昭和23年頃には250人を超える従業員が働いていました。しかし、昭和46年に久大本線で全ての蒸気機関車がディーゼル機関車に置き換わったのを機に、この豊後森機関庫は廃止になり、以後40年近く放置されて来ています。

 

豊後森機関庫は扇形の機関庫であり、京都の梅小路機関庫、岡山の津山機関庫と全国でも数カ所しか現存しておらず、九州では唯一現存している機関庫です。また、敷地内には機関車を回転させ、向きを変える転車台も残されています。このように豊後森機関庫は日本に現存する数少ない扇形機関庫として貴重な鉄道遺産です。

 

さらに戦時中には軍事輸送の拠点となっていたために米軍戦闘機の機銃掃射を受け、3名の方が亡くなられています。今でも外壁面には機銃掃射の弾痕が幾つも残っており、その点で、「豊後森機関庫は戦争遺産」と言う人もたくさんいます。

 

豊後森機関庫

長年の風雨に耐え、ひっそりたたずむ豊後森機関庫


【住民主体の保存運動】

昭和62年に国鉄が民営化され、それまで国鉄が所有していた土地や建物が次々に売却されていきました。鳥栖にあった機関庫も解体され跡地は売却されています。豊後森機関庫の敷地は幸か不幸か周辺は田んぼで道路に接していなかったためにJR九州も売るに売れず、最後まで残されていました。しかし、平成12年ごろに豊後森機関庫を処分するとの話が聞かれるようになり、それまで生き延びてきた豊後森機関庫も解体の危機に直面することとなりました。

 

豊後森機関庫が使われなくなってから、保存の必要性を訴える声は幾度となく起こってはいましたが、解体の危機に直面したことから、写真家の野村氏や建築家の尾方氏など地元有志数名が平成13年9月に第一回発起人会を開催し、建設会社経営の河野氏を会長に選出し、各団体等にも声をかけ、19名の発起人により保存運動が開始されました。私もたまたま当時も玖珠土木事務所に勤務していたことから、発起人の一人として名を連ねさせていただきました。

 

まず最初に国の登録有形文化財への登録を目指した「一万人の署名運動」に取り組むことにし、11月16日が豊後森機関庫落成日であることから、この日に玖珠町のメルサンホールで保存準備大会を開催し、多くの町民・各団体に運動の主旨を説明し、署名活動が開始されました。

 

署名活動は豊後森駅前や大分市中心部での街頭署名活動、さらにマスコミ報道やインターネットで知った全国の方々から署名が寄せられ、平成14年2月16日での集計では目標を大きく上回る22,437名もの数になりました。

 

3月20日に保存委員会役員11名が玖珠町長に署名簿を手渡し、「鉄道遺産として国登録有形文化財になるよう、所有者のJR九州と早急に協議してほしい」と要請しました。これに対し、当時の小林玖珠町長は「今後は保存委員会と一緒になり、文化財として保存するためにはどうすればよいか積極的に検討していきたい」との返答がありました。保存委員会は翌21日には玖珠町議会にも同様の要請をしました。

豊後森機関庫

保存に向けての運動は各団体を巻き込んでの運動に発展していき、保存委員会の活動と平行して、各団体が次のような独自の取り組みを行っています。


●機関庫の清掃および機関車クロちゃんの塗装塗り替え(豊の国21世紀塾、国鉄OB会、  保存委員会)
●機関庫スケッチ大会(玖珠ライオンズクラブ)
●機関庫まつり(玖珠町商工会青年部)
●機関庫花見(玖珠町商工会中央支部)
●機関庫の図面作成のための現地調査(建築士会玖珠支部、玖珠土木事務所)
●大分大学の学生にる機関庫夢作品展(大分大学)
●その他(コンサート、鉄道ファンの視察)

保存委員会は玖珠町の街づくり助成金(200万円)を利用し、「子どもと夢を!機関庫保存でまちおこし」をキャッチフレーズに、国鉄久大本線開通当時のにぎわいや全盛期の機関庫の様子、廃墟と化した建物の現況までをそれぞれ貴重な写真や8㍉映像で構成し、「まんが日本昔ばなし」で有名な俳優常田富士男さんの語りを盛り込んだ自主制作映画「機関庫物語、時代(とき)の移ろい」を制作しました。

 

そして、保存委員会結成1周年記念事業として平成14年11月16日にメルサンホールで機関庫シンポジウムを開催し、機関庫物語の上映と常田富士男さんの講演会、自主映画の音楽を担当していただいた音楽家川岸宏吉さんのコンサートをおこないました。なお、常田さんや川岸さんも保存運動に大変共鳴していただき、ボランティアで協力していただきました。

俳優の常田さんと音楽家の川岸さんを囲んでの記念撮影

その他、保存委員会では次のような活動を行っています。
●募金活動、委員会メンバーを中心とした街頭募金や専門誌への広告掲載による全国の鉄道ファンや国鉄OBにも呼びかけての募金活動
●機関庫のイラスト入りTシャツと名刺台紙の販売
●機関庫キャラクターを全国に募集
●豊後森機関庫案内板の設置


街頭募金を呼びかける保存委員会のメンバー

 

地元有志が中心となった豊後森機関庫保存運動は玖珠町、JR九州、県を動かすこととなりました。それまで、町議会で「JR九州には申し入れている」との答弁に終始していた町から平成15年9月の町議会で「JR九州と土地、建物の譲渡について協議を始め、JR九州も理解して頂いている」との町長からの答弁がありました。

 

その年にはJR九州の石原社長をはじめJR九州の関係者が豊後森機関庫を初めて訪れ、町長や保存委員会メンバーが案内役を務め、町民の望みを伝えました。また、数日後には広瀬知事も視察に訪れ、「当時のままの姿で残っているのは素晴らしい。JR九州に協力してもらい保存してもらいたい」とコメントしています。

 

そして、保存運動は実を結び平成19年に豊後森機関庫とその土地1.2㌶の所有はJR九州から玖珠町に移り、さらに平成21年2月には経済産業省の近代化産業遺産に登録されました。

【豊後森機関庫現地調査の実施】
平成13年からの保存運動により、所有がJR九州から玖珠町に移り、さらに、近代化産業遺産に登録されたこと(ソフト的保存の前進)により、解体の危機は遠のいたものの、活用計画や整備計画はこれからといった状況であり、そのため、当分の間はこれまでと同様に放置され、さらに劣化が進行していくことに変わりはありません。したがって、利活用の議論はこれからとしても、まず、劣化の進行を止め、現状の維持を図ること(ハード的保存の必要性)が急務です。

 

そこで、豊後森機関庫保存委員会と建築士会玖珠支部および県玖珠土木事務所では雨漏りの防止方法、外壁の劣化防止方法およびその費用等を検討するため、建築物の改修の専門団体である大分県防水工事業協同組合と大分県外壁改修工事業協同組合の協力を得て、現地調査を平成21年5月11日と6月15日に行いました。

 

参加者は調査の実務を担う両協同組合と建築士会員等合わせて約35名、その他保存委員会や地元商店街の方々で総計50名を超える方々が参加し、高所作業車3台を動員し、屋上や外壁の上部、天井など全てを一日で調査することができました。
また、地元テレビ局や新聞社などのマスコミもたくさん取材して頂き、NHK福岡放送局が上空からヘリコプターで全国に生中継して頂きました。

柱を調査する調査員                        高所作業車を使って天井の調査


(今後の取り組み)
保存委員会の今後の具体的な取り組みとしては
① 調査報告書を作成し、2009年6月時点での状態を後世に残す。
②  改修方法等を議論し、改修計画を作り、工事費等も算定する。(「調査報告・維持改修  計画書」の作成)
③ 町および関係機関に「調査報告・維持改修計画書」を提出し、早急の保全を要望する。
(2~3年以内の保全工事が必要と考えています。)
④ 機関庫まつりで報告会を開催(参加者から整備計画案、夢を発表する会を開催する。)
⑤ 機関庫の活用について議論を行っていく。(5年を目途に結論を出したい。)
⑥  インターネットを使った募金運動
⑦  豊後森機関庫グッズを造り、道の駅等で販売
などを考えています。

【住民主体の保存運動がもたらしたもの】

玖珠町とりわけ豊後森町は国鉄久大線の機関区の発展と共に生まれ繁栄し、そして機関区の衰退と共に町の活力が失われて来た、まさに一体であると言っても過言ではない町です。

 

そのため、豊後森機関庫が解体の危機に直面したときに地元有志が中心となり保存運動を行いましたが、それは単に貴重な遺産ということだけではなく、ここで働き、遊びあるいはこの建物に感動した体験をそれぞれが持ち「豊後森機関庫の解体」に対して、自分の身を切られる思いからわき上がってきた運動です。

 

そしていま、周辺商店街や地元自治会ではむかしのにぎわいを取り戻そうと「豊後森機関庫」を核としたまちづくりに懸命に取り組んでおり、保存運動はそのきっかけとなっています。また、保存運動のリーダーである建築家の尾方氏は「豊後森機関庫の保存運動は単に建物の保存だけではなく『玖珠町のシンボル』を創り、子供たちに守り残したい。そして、玖珠町を愛するこころを育てていきたいとの思いが込められている。また、これまでの運動でおおくの方から応援を頂き、行政や大企業を動かすなど町民に勇気と誇りをもたらした。」と語っています。

 

保存委員会では「豊後森機関庫」に新たな命が吹き込まれるまでが「保存運動」であると考えており、この運動をさらに前進させ、広く多くの方を巻き込んだ運動として展開していき、玖珠町の活性化につなげていきたいと考えています。

【住民主体の運動への行政のかかわり】
この保存運動は民間主体で進められた来ましたが、私は建築士会員、保存委員会メンバーであり、さらに県と言う行政の立場でもこの保存運動に関わっています。このかかわりのなかで私が感じたことを最後に3点記載させて頂きます。

 

まず一点目ですが、民間が担える部分、民間の素晴らしい点です。
①専門技術やノウハウが活用できる
②法や制度に縛られない発想やユニークなアイデアが出てきやすい
③地元に根付いた人的ネットワークが活用できる
④地域を愛し、良くしたいと思う熱い情熱を持っている
などだと思います。

 

つぎに、行政が担える部分・行政に期待されている部分は
①活動に正当性や信頼性を付ける(他者への呼びかけや説得がしやすくなる。)
②マスコミへのアピール度が大きい
③幅広い業種や人材・情報のネットワークの活用がはかれる
④補助事業や助成金の活用や情報提供
などであろうかと思います。

 

そして、一番強く感じたのは熱い情熱を持った「強力なリーダー」が必要だと言うことです。既存組織のない新たな民間主体の活動においては「強力なリーダー」は絶対です。この豊後森機関庫保存運動も河野氏、尾方氏、野村氏などの「強力なリーダー」の存在なくしては有り得ません。しかし、これがまた一番難しい問題でもあり、住民主体の運動の正否を左右する鍵でもあります。私はこの問題の解決策の一つに行政の役割があると思います。「志あるリーダー」を行政がバックアップすることにより「強力なリーダー」に位置づけることができます。

 

豊後森機関庫の保存運動はまだ道半ばであり、最終目的にたどり着くためには、これまで以上の膨大なエネルギーと経費、そして継続が必要になります。まさに、保存運動は住民パワーと行政が連携し、お互いの機能を発揮して、保存・活用に向けて進んで行かなければ目的の達成はできません。

 

保存委員会には次につづく「志あるリーダー」がたくさんいます。豊後森機関庫の所有者である玖珠町にもう少しの積極的な取り組みとバックアップを期待し、もっと広く住民パワーを結集し、機関庫の保存運度を継続していきたいと思います。

このレポートが地域住民と行政が連携したまちづくり・地域活性化の一助となれば幸いです。

豊後森機関庫
豊後森機関庫キャラクター「コッキーちゃん」